美術館に行くのが好きです。
特に絵を見に行きます。
たとえばゴッホ展やモネ展に行って、気に入った絵を探します。
そしてなるべく絵に顔を近づけます。
筆の走りを見るためです。
筆の走りを見ていると、なんとなく本当にゴッホというひとが生きていたんだ、と感じられる気がするんです。
この一筆を描いたとき、何を考えていたんだろう。
体調はどんなだったんだろう。
直前に食べたものは何だろう。
そんなことを考えながら、顔を近づけます。
たとえば、コンサートを見に行ったとして、ぼくは一番前に座るのが好きです。
なるべく、演奏しているひとが、直(じか)に聴いている音を聴きたいんです。
演奏しているひとが、どんな環境でいるのか知りたい。
どんな気持ちなのか知りたい。
なんだか、絵を見るのと似ています。
もしかしたら作品よりも、作者に興味があるのかもしれません。
そんなことを考えていると、そもそも人間自体が作品のようにも思えてきます。
でも結局は、どう生きたか、ということも作品に現れるでしょうから、同じことですね。
言い換えれば、良い作品のためには、人格を高めることも大事なのかもわかりません。
それでは、人格はどうしたら高められるのでしょうか。
毎日ひとつでも、ひとの役に立つことでしょうか。
正直わかりません。
年齢はそれなりに重ねてきましたが、自分の人格が上がっていっているかどうかは、ぜんぜんわかりません。
あと、このひと人格すごく高い、ってひとにも会ったことがないので、余計わかりません。
もしかして、人格の高低なんてないのでは。
しかし、美術館に行くと、こころが洗われる感覚があるのは確かです。
きっと、自分より高みにいる作者のこころを、垣間見れた "気がする" のが好きなのでしょうね。
気がするだけです。
良くも言えますが、悪く言えば勝手な話です。
こっちがいいように想像しているだけですからね。
まあ世の中、大抵のことは勝手なので、きっとこれでいいんだと思います。